寂しい夜

 例えば、眠るように瞼を伏せ、澱み美しい瞳を隠す様。
 例えば、頬に触れた髪一筋すら避ける事も叶わない、冷めた指先。
 例えば、花に囲まれ暗い棺で全てを終える姿。
 そんな一人きりの美しさを何と語ろうか。永遠とは続かないその儚さ、美しさが僕は素晴らしいと思う。そして――何も語らぬ口も、動くことのない四肢も、冷めきった生の無い冷たさも、全てが僕を掻き立てる。
 不謹慎だ、と多くの人が口を揃えて言うだろう。後ろ指を立てるだろう。されどそれが僕の好みで在り方なのだから、そう言われても困る。少なくとも、他者の前では露わにしていないのだから、お説教など勘弁願いたい。

 いわゆる死体愛好者だと理解したのはいつだっただろうか。血の気の無い白い肌。ひんやりとして固くなった末端。抵抗も従順もない姿勢。数多くある内の何が僕を引き付けたか、今となっては知りようがない。
 今となってはそれこそ葬儀業などという天職を賜っているが、それまでは酷く生きづらくてたまらなかったし、言い寄る女の子たちは皆温もりがあって、化粧っ気があって、意思がはっきりとしていて、どうにも好きになれなかった。彼女たちが悪いのではなく、僕が悪いのだと自分自身に言い聞かせ続けてきた。
 ただ、どうか誤解しないでほしい。今がそうであれど、亡き人に何かしたい訳じゃない。いわゆる嫌悪感がなく、そのうえ僕にとっても想像の上で手助けになるから天職であるというだけだ。他の同僚はそうではないだろうし、イメージなんかを崩したい訳じゃない。
 ……それらの事象に欲情してしまう僕は、確かに異端なんだろうが。それくらいは自覚している。

 ある日、仕事が休みだった日に、僕は彼と、運命と出会った。
 そこに佇む彼はひどく美しくて、儚くて、人形のようで、僕の心を鷲掴みにした。
「待って!」
 堪らず呼び止めた僕に彼は躊躇うことなく立ち止まって振り返り、小首を傾げて「なんだ?」と微笑む。化粧の気もない、素のままの姿が殊更彼の美しさを際立たせた。
「その……お、お茶でもどうかな?」
「お茶? ……えらく突然だな」
「き、君に……その、」
 一目惚れしてしまったから。なんて、恥ずかしい言葉を誰が言えるだろう。堪らず赤面してしまった僕に、彼は「折角なら二人きりになれる方がいいな」などと笑うものだから、咄嗟に腕を掴み「僕の部屋に行こう」なんて言ってしまった。周りを通り過ぎる人達の視線が痛いが、こんな運命の前にとっては些細な事だ。
 そのまま手を滑らせ触れた彼の指先はまるで氷のようにひんやりとしていて、また胸がきゅんとしてしまった。
彼と僕の家に向かうまでの間、色々な事を話した。彼の名前は長谷部くんと言うらしい。年は僕と近く、大学生である事。もう身内はいないらしく、安いアパートで独り暮らしをしているのだと長谷部くんは言った。

「コーヒーでよかったかな」
「嗚呼。……気遣ってもらってすまないな」
 来客の無い僕の部屋は殺風景で、来客用の食器類なんてありはしないからいつも使っているマグカップに注いだコーヒーを机に置いた。
「僕がしたいようにしてるんだから、長谷部くんは気にしなくていいんだよ」
「……」
 とん、とんと長谷部くんがソファを叩く。言外に、ここに座れ、と言っているようだった。
 長谷部くんの隣に腰を下ろし、ソファの上で触れ合った手の冷たさに息を呑む。僕の理想に近いそれは、まるでビスクドールみたいだ。
「緊張してるのか?」
「……君の方こそ」
 そっと見つめ合い、どちらからともなくキスを交わす。出会ったばかりだとか、そんなことはもはや関係なかった。滑る舌先は熱く、しかし僕らの間の熱が冷めることはない。合間に甘く鼻に掛かった吐息が漏れる。次第に燻り始めた情欲に彼の服の下へ手を伸ばせば、長谷部くんは僕に身を預けるようにしてソファに横たわった。
「優しくしてくれよ」
 陶器のように白い肌に朱が差し、照れ臭そうにはにかむ彼に「努力するよ」と囁いては僕は覆い被さった。


「光忠……」
 長谷部くんの声がする。重い目を薄っすらと開けて彼を見つめると、彼は眉尻を下げて僕を見ていた。
「は、せべくん……?」
「光忠」
 彼はふらふらと歩き出すと、寝室のドアのそばで立ち止まりこちらを見た。まるで、早く来てくれ、と言わんばかりだ。
「待って……いま、行くよ……」
 カーテンの隙間から見える外は暗く、まだ朝なんかじゃない。眠気でまだ少し重い体を何とかベッドから降ろし、長谷部くんのそばへ歩み寄る。しかし彼は距離が近づけばその度に、着いて来いと言わんばかりに距離を取って歩いて行ってしまう。
 歩き出す内に目が覚めていく。リビングの方へと歩いていく長谷部くんの後を追うようにして、僕はリビングまで足を運んだ。
「……寂しい……」
 真っ暗なリビングに来た長谷部くんは俯いて声を漏らしていた。俯いて、距離が離れているから顔はよく見えないままだ。
「……寂しいんだ。ここは、寂しい……」
「どうして寂しいんだい? ……いや、そんな日だってあるよね。大丈夫、僕がそばにいるよ」
 なんだか長谷部くんの態度が堪らなくなって、駆け寄るなり僕は彼を抱きしめた。抱きしめた腕の中、ひんやりとした彼の体温が伝わって来る。かくいう長谷部くんは笑っていた。愉快そうに――いや、寂し気に?
「そんな事を言って、俺がどこにいるかなんて、お前は何一つ覚えていないんだろう?」
「長谷部くん……何を言ってるんだい?」
 何一つ、彼の言う事が分からない。どこにいるか?君は今確かにここにいるじゃないか。何一つ覚えていない?君と出会った事を確かに覚えている。君と過ごした穏やかな日々も全て。
すっと彼が片腕を持ち上げ、指を差す。指差す先には、ベランダ。深夜ともなれば正面の公園にも人気はない。


「そこにいるさ」と言い残して笑った腕の中の彼は、瞬きの内に腕の中から泡沫のように消え去ってしまった。


ホラー。
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